自分たちの関係とは何なのだろう。
幾度も思った疑問をまた思い浮かべ、香穂子は1人ため息をつきながら
自分の携帯電話を見つめた。




Happy Birthday To You・・・




もう去年になった市の音楽祭。
あの後、何かあれば連絡するようにとの言葉とともに吉羅から渡された連絡先が書かれた紙。
ただの紙切れ一枚だというのに、それにものすごい存在感を香穂子は感じた。
その出来事からいつでも彼に連絡できるようになったわけだ。
しかしいざとなると、特に用があるわけでもないのに連絡していいものかわからず、一度も連絡したことはない。
肉親でもないし、友人というには緊張感があり、・・・恋人というにはあまりに遠くて。
ともかく気軽に連絡を取り合えるような間柄でもないのだから、結局教えられた番号を押すことはこれまでなかったのである。

だから、いつも香穂子は彼から連絡が来ないかとつい携帯電話を何度も見てしまう。
あの日もそうして履歴を確かめていたら、まさにその時彼から電話がかかってきたわけだ。
それまでは香穂子がヴァイオリンの練習をしている時に偶然吉羅が現れて
食事に誘われそのままドライブに行くというパターンだった。

ところがその日は、珍しく休暇が取れたから、と言って初めてちゃんと誘われ待ち合わせをして出かけた。

それでも、今でも自分から連絡をするのは、躊躇われる。
しかし、今日はその件の人物の生まれた日。
正月の三が日とはいえ、今日も休日出勤だろう。
まだ夜明け前だが、きっと直接会うことはできないから、せめて電話だけでもあの人に祝福の言葉を贈りたい。
それにどうしても今日、伝えたいことがある。

そう考え、これまで思い切れずに押せなかった番号を香穂子はありったけの勇気を出して押し始めた。


数回の呼び出し音の後、あのいつもと変わらない、深みがあって冷たそうで、けれど意外に穏やかで温かい声が聞こえてきた。



「も、もしもし・・・」

「ああ、君か」


言いたいことは事前に考えて電話したはずなのに、いざ相手を前にすると・・・顔が見えないのに
緊張していつものように言葉が出てこなかった。


「こんな時間にどうしたのかね?」

「あっ、あの・・・こんな遅い時間に電話なんてしてすみません」

「いや、それは構わないが」


一拍置き、深く息を吸った後、香穂子は一気にまず伝えたかった言葉を口にした。


「理事長・・・お誕生日おめでとうございます」

「ほう・・・知っていたのか」

「ええ、リリに聞いたんです」

「全く。あのアルジェントはいつも余計なことを君に吹き込むものだ」

「えと・・・ご迷惑でしたか?」

「いや、迷惑なわけではない。ファータどもはたかが誕生日程度で騒がしいものだが
君に祝ってもらえるなら、誕生日も悪くはないな」


さらりとこちらの心臓に悪い言葉を平気で口にするのはいつものことながらやはりどうにも慣れない。
だが、いつまでも動揺して黙っていたらまた吉羅のペースに乗せられそうなので
忘れないうちに香穂子は本当に言いたいことを切り出す。


「そうだ、理事長、それで今日は理事長の誕生日ですから、何かお願いとかありませんか?」

「お願い・・・かね?」

「はい、朝になったら今日はまたお仕事ですよね」

「ああ、全くこき使われてるよ」

「ですから、直接お会いするのは難しいだろうと思ってこうして今電話しましたけれど
今日中には無理でも、また今度都合のいい時に何か私にして欲しいことがあれば、言ってください。
私にできることなら何でも喜んでさせていただきますから!」

「・・・何でも、ね」

「ええ、何でも、です」


そう告げると、くすりと笑う彼の声が聞こえた。


「そうか・・・なら今日一日、昼ぐらいから私に付き合ってくれないかね?」

「え、でもお仕事なんじゃ・・・」

「まあそうだが、どうせ行ったところでアルジェントが騒がしいだろうから、今日は仕事にならないだろう。
だったら、つかの間の息抜きを私だってしてもいいのではないかね?
正月といっても一応仕事続きだから、家族や友人と約束をするほどの暇はないしね。
君の予定はどうかな」

「あ、はい。それは大丈夫です」

「ならば、指定した時間に君の家まで迎えに行くから待っていてくれたまえ」

「わかりました。でも、少しでもいいですから学院にも顔を出してあげてくださいね。
リリ、理事長が来たら、きっとお祝いできるようにはりきってるでしょうから」

「仕方ないね。多少わずらわしいが、少しぐらいは顔を出すか。
では、今日は夕食も君を借りるつもりだから、親御さんには遅くなるときちんと伝えておくように。
じゃあ、また昼に」

「ええ、また」


電話が切れると、緊張が一気に解けてふーっと香穂子は大きく息を吐き出す。


「ああー緊張したー」


しかも、今日中に会えるとは思わなかったから、電話したのに思いがけず会う約束までできた。
でも、いつも吉羅の都合にピッタリ合わせるように予定が空いてるというのは少し悔しいけれど
うれしいのは言うまでもなく・・・こんな顔あの人に見せられないなと思いながら
自覚しながらも顔が緩むのを抑えられなかった。



翌日、急な誘いのため、自分自身と姉が持っているものの中から、着る服を選ばなければならなくて
なかなか選べず少し焦ったが、何とか時間までにはコーディネートを決めて待っていると
見慣れたいつもの高級車がぴったり時間通りに玄関前に横付けされた。


「待たせたかね?」

「いえ、今出てきたばかりですから大丈夫です」

「それなら構わないが。まだまだ寒い季節だから風邪でもひかれたらまずいからね」

「大丈夫ですよ。心配してくださってありがとうございます」

「ああ、では行こうか。お嬢さん」


こうして一緒に休日外出するようになってから、見られるようになったちょっと口角を上げただけなのに
ずいぶんと柔らかい印象になる笑顔を浮かべた彼に、ごく自然に手を取られ車内に導かれる。
自分以外にこんな吉羅を知っている人物はそう多くはないだろうことを思えば、嬉しくないはずはなく
香穂子もつられてはにかむ。
そうして車に乗り込み香穂子がシートベルトを締めると、すぐに車が動き出した。


「今日はどこに行くんですか?理事長」

「まずは昼食時だから腹ごしらえをしようと思ってね。
それより、今日は休日なのだからその『理事長』という呼び方はやめてもらえないかな
今日一日は私の望みを何でも叶えてくれるんだろう?」

「あ、はい。すみません、吉羅さん」

「ああ、それでいい」


何故だか呼び方を変えると、吉羅は少し機嫌がよくなった気がした。
付き合いが長くなるにつれ、機嫌の良し悪しは何となくわかるようになったつもりだが
気のせいだろうか。


「ところでリリの様子はどうでしたか?」
「ああ・・・恐らくは君の予想通りだよ。全くやはりあれは私よりも遥かに長生きのはずだが、落ち着きに欠ける」


ふーっと、思い出しているのだろう。疲れたようにため息を吐き出す吉羅が本当に想像通りすぎて思わず少し吹き出してしまった。


「でも、吉羅さんはリリとは私よりもーーブランクはありますけど、長い付き合いだからもう慣れたんじゃないですか?」

「さて、どうだろうな。ーー君のほうが私よりあれとは気が合っているように見えるがね。
まあ、あれの期待に応えようと努力するのはいいが、無理はしないように。
意外と君と出かけるのを私は気に入っているようだからね。君が倒れてしまっては困る」


赤信号で停車した瞬間、突然運転席から腕を伸ばして彼の指が自分の顔に触れたのを感じる。
瞬間、肌が粟立ち、頬が熱くなる。
すぐに指の温もりが離れていったのを寂しく感じた一方で、離れてくれてよかったとも思った。
あのままでは自分の顔が赤くなるのがばれてしまっただろう。


しばらくお互い何も話さず、ステレオから流れるクラシックに耳を傾けるうちに目的地に辿り着く。
そこは中華街から程近い場所で、フランス料理の老舗でケーキも美味しいカフェも経営していると吉羅が教えてくれた。
出発する時と同じように車から降りる際、ドアを開けて手を取りエスコートしてもらいながら店に入る。
もちろん店内は洗練された佇まいで、料理も絶品だったが、何と言ってもやはりケーキが特に秀逸で
香穂子は舌鼓を打ちながら、幸せそうに食べ進める。
普段はデザートを口にしない吉羅も今日は誕生日だし、たまにはとチーズのケーキを注文した。
他愛もない会話を楽しみながら、食していたが、ふと吉羅が何か気づいたような顔をすると
次いで、いいことを思いついたという微笑を浮かべながら、指を香穂子の頬に伸ばす。
驚いてしまい、動かずにいると伸びてきた指が自分の頬に付いた何かを拭い取ったことに香穂子は気づく。

「・・・クリームが付いているよ」

そう言うと、彼はそのまま事もなげに指に付いたクリームを舐め取ってしまい香穂子は呆然とするしかなかった。

「甘いね?お嬢さん」

「〜〜〜っ?!」

再び赤面するのを自覚しながらも、あまりに突然すぎる暴挙に冷静に対処できる香穂子でもないわけで。
俯いて顔を隠すのが精一杯だった。

「な、な、・・・何するんですか?!」

そう言ったところで、吉羅はといえば焦ってじたばたする香穂子を面白そうに余裕で
見つめて、君があんまり素直すぎるから、からかうと面白くてそうしてしまうだけだよなどと
と言うものだから、余計に憎らしくなってしまう。きっと動揺してるのなんて自分だけなのだろう。
それでも、ドキドキはなかなか収まる気配はなくて、香穂子はろくに反論したり、落ち込む余裕もなかった。


ようやく落ち着いて店を出た後、そのまま港まで車を飛ばすと、人が比較的少ない場所で
夜景を眺めながら2人でしばらくとりとめもない会話を交わしていた。


「そういえば、何故、急に今日は誕生日とはいえ私の願い事を聞くなどと言い出したのかね?」

「吉羅さんの誕生日に何かお祝いをしてあげたいとは思いましたけど
何を贈れば喜んでもらえるのか、わからなかったので、どうするのが一番いいか直接聞いてしまったほうが
いいかなと思ったんです」

「なるほど・・・。まあ、君のおかげで今日はいい気分転換になったよ。なかなか楽しめた」

「本当ですか?私は大したことできなかったですけど、喜んでもらえたならよかったです。
でも、まだ誕生日は終わってないですから、して欲しいことがあれば言ってもらっていいですよ」

「そうだな・・・まだ何かしてくれるというなら、君のヴァイオリンを1曲聞かせてもらうのと・・・」

そう言うと、吉羅はいきなり顔を鼻がくっつきそうなほど近づけてきた。
香穂子は慌てて今日何度目になるかわからない赤面を再びして離れようとするが彼はしっかり腕と腰を捕らえて離さない。
そのまま額に口付けを落とされ、唇が離れたと思い油断していると、今度は耳に熱い息がかかるほど耳元に唇を寄せられて

「・・・今回はまだこのくらいにしておこうか。だが、もうすぐ君も卒業して生徒ではなくなるからね・・・
その時にはこの続きを所望しよう」


ー香穂子。
そう囁かれてしまい、耳元で囁かれるだけでも刺激が強いのに香穂子はゆでだこも顔負けなほどに
耳まで赤く染まって固まってしまう。
心臓も早鐘を打つように鼓動がうるさくて、せっかく名前を呼ばれたような気がするのに
よく聞こえなくて、この奇妙な熱に浮かされた頭が願望から幻聴でも聞いたのかと思ってしまう。
それでも、普段の彼にはない甘さに、彼の誕生日なのに自分の方がまるでプレゼントをもらったような気分になる。
吉羅は今までで一番楽しそうな笑みを浮かべて、香穂子を見つめてくる。
そしてその笑みもまたこれまでで多分一番カッコイイのだから、なおのこと性質が悪い。
けれど、きっと今年も自分は彼から離れる事はできないのだろうと、その妙に艶やかな眼差しに捉えられながら考えた。
ーーあと、続きとはどんなことなのだろうと香穂子は思いながらも、少なくとも、とてもロマンティックで甘い時間に
今夜は眠れないこととーー新しい年もまた吉羅に振り回されっぱなしの一年になることは予想できるのだった。




あとがき☆
理事長、誕生日おめでとうございました〜!
香穂ちゃんもですが、私も、きっと今年もあの気まぐれで強引な理事長様に踊らされてばかりの年になるのは間違いないです(笑)
大幅に遅れての公開になってしまい、ホントすみません!orz
年末年始バイト続きで忙しくなかなか創作進められなくてですね・・・(汗)
いつもよりは甘いかな?という2人です。いつかこれくらいは進展してくれたらいいな〜と。
この話に出てくるフランス料理の老舗というのはもちろん、内田さんオススメの霧笛楼です!
いや〜ホント、ここのケーキ美味しそうで食べたくなっちゃいますよね♪
ちなみに「続き」に関しては皆さんのご想像にお任せします(笑)

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