主導権を握るのは
「・・・それで桐也のプレゼントを選ぶのを、私に手伝って欲しいと?」
「は、はい。お忙しい理事長に頼むのは気が引けますけど、他に心当たりもないので・・・」
中華街近くのカフェの一角。
学校帰りで香穂子は制服、吉羅は吉羅でいつものスーツ姿。
それぞれケーキと紅茶のセットとコーヒーを前に向かい合っていた。
わざわざ理事長室ではなく、こんな場所でお茶をしてるのは、一応私的な相談なので、学校で話すのは流石に憚られるからである。
「まあ、別に構わないよ。確かに年度末で忙しいが、一日くらいなら時間を作れるだろう。
君も春休みだから予定はこちらに合わせてもらって構わないね」
「あ、はい!私はいつでもいいです」
「では、また日は改めて連絡する」
「ありがとうございます!助かります」
香穂子はようやく肩の力が抜けて笑顔になった。
「いや、君にはまだまだ大いに働いてもらう予定だからね。
ここらで少し借りを返しておいてもいいだろう」
そんな彼女の笑顔を見て、吉羅も珍しく柔らかい表情を浮かべる。
去年の色々な出来事を思えば、こんなに彼とも打ち解けられるようになるとは思わなかった。
「さて、そろそろ仕事に戻らなければ。送ろう」
「え、いいですよ。歩いて帰れる距離ですし」
「学院まで戻るのも、君の家まで行くのも大した差はない。
いいから乗っていきなさい」
「すみません、いつも送っていただいてしまって。ご迷惑じゃないですか?」
いつもこうして食事をご馳走してもらったり、帰りも送ってもらって。
してもらってばかりではさすがに申し訳なくなる。
そう思い、身長差のある吉羅の顔を上目遣いで見つめながら、香穂子は尋ねてみる。
「迷惑なら、最初から相談に乗ったりしないよ。遠慮なんてしなくていい」
「でも、いつも良くしてもらってばかりだから・・・」
「慎み深い事だ、そういった心がけを持つのは悪くないが。
なら、その日に食事にでも付き合ってもらおうか、一人でとる昼食など味気ないからね。依存はあるかな」
「い、いえ!全然ないです、喜んで!」
慌てて返事したために、声が裏返ってしまうと、吉羅はどこかおかしそうに笑って、恥ずかしくなった香穂子は俯いてしまう。
「送っていただいてありがとうございました」
「ああ・・・ではお休み、日野くん」
「はい、お休みなさい」
吉羅が開けてくれた助手席のドアから、香穂子が出て一礼して挨拶すると、彼は軽く頷き、車を発進させて、車は徐々に遠ざかっていった。
少し緊張したが、どうにかこれで一つ目的を達成できた。
後は肝心のプレゼント選びが残るのみ。
普段は生意気とも思えるほど、可愛げのない年下の彼の満面の笑顔を思い浮かべ、気が早いと思いながらも、香穂子は自然と顔が綻んでしまうのだった。
その日、衛藤はいつも通る海岸通りではなく、少々足を伸ばして、星奏学院寄りの駅前通りにいた。
音楽祭が終わった後も、今度は新入生歓迎会に向けての練習を始め、香穂子は春休みになった今も学院に通ってる。
だからたまには自分が会いに行こうと、やって来たのだ。
彼女に連絡を取ってから来ようかとも思ったが、驚かせたくてあえて何も言わずに衛藤は来ていた。
「さて、と・・・やっぱりアイツはきっと学院にいるよな。
せっかくだから差し入れでも買ってってやるか」
頑張ってるようだから、と一人ごちながら、彼は通りを見回して、目に入った駅前のケーキ屋に入ろうとする。
すると、聞いたことがある声が耳に届いた気がして立ち止まった。
「ん?この声は、暁彦さんか?」
吉羅もきっと仕事だろうと思っていたから、少々意外ではあったが、いたとしても不思議はない。
しかし、声をかけようと声の聞こえた方へと向かうと、予想してなかった人物といるのが見えて、衛藤は目を見開く。
(「あれは・・・香穂子?何でアイツが暁彦さんと一緒に居るんだ・・・?」)
吉羅と並んで立っていたのは、探していた香穂子だった。
一緒に居る事自体は、二人は知り合いみたいだし、さして驚く事でもないが、何となく楽しそうに見える。
しかも、彼女の手にはネクタイが握られていて、それを吉羅の胸元に当てて、彼のネクタイを選んでいるようだ。
(「どうしてアイツ、暁彦さんのネクタイなんか選んでるんだろう」)
コソコソと様子を見ている必要などない。
気になるなら、それこそ声をかければ済む事だ。
そう分かっていても、何ともそうしにくい雰囲気が漂ってる気がする。
「・・・・・・」
何だろう。何故だかとても面白くない。
結局、声をかけられないまま、衛藤は再び駅へと引き返して帰ってしまうのだった。
「・・・いなくなったか。少々、からかい過ぎてしまったかな」
「え?何か言いましたか、吉羅さん」
吉羅の呟いた言葉が聞こえなかった香穂子は、彼を見上げながら聞き返す。
「いや、何でもないよ。それより、それでいいのかな」
「はい!吉羅さんのおかげで良さそうなものを選べてよかったです。ありがとうございます」
「お役に立てたなら、何よりだ」
彼女のにこにこと邪気なく向けられる笑顔には、自分まで自然と表情も、心も和んでいく。
こうして共に過ごす時間が、嫌いじゃないと満足げに頷くと、香穂子は気を良くしたのか
「あ、そうだ、吉羅さんにも選んだんです。――どうぞ」
ゴソゴソと紙袋を探ったかと思うと、目の前に綺麗に包装された箱が差し出される。
「おや、いつの間に・・・気づかなかった。開けても構わないかね」
「はい」
彼女の了承を得て、吉羅は手早く包装を解いていき、箱を開くと中にはネクタイピンが入っていた。
「ネクタイピンか――これはヴァイオリンの形かな」
「はい、吉羅さんには協力していただきましたし、珍しいな〜って思ったけど、似合いそうだったので」
「そんなに気にしなくてもいいのに、義理堅いね。まあセンスは悪くない、使わせてもらおう」
「気に入ってもらえてよかったです」
そう言いつつも、こういった外出を繰り返して遠慮しすぎず、しかし礼儀正しい香穂子の姿勢を、吉羅は好ましく思う。
だからこそ、ついつい機会を見ては、何くれとなく誘ってしまうのだ。
まさか彼女から、こんな風に誘われるとは思っても見なかったが。
「付き合って頂いてありがとうございました」
「ああ、生憎今日は会議があって、何時頃終わるのか見当もつかないから、帰りは送れない。悪いが気をつけて帰るように」
「いえ、大丈夫ですよ。本当にありがとうございました」
「ああ、練習頑張りたまえ」
そう声をかけてやれば、また本当に嬉しそうな顔をしてこちらを見上げ、一礼すると香穂子は元気良く駆け出して行った。
――片手にヴァイオリンケースを、もう一方の手に先ほど買った衛藤へのプレゼントが入った紙袋を持って。
「やれやれ・・・」
香穂子の後ろ姿が見えなくなってから、吉羅は一人溜息を吐く。
真っ直ぐにこちらを見て、褒めれば心底嬉しそうな顔を見せ、からかえばすぐ真っ赤になる。
そんな素直な彼女と過ごす時間は、とても癒されるし楽しい。
ただ、あの眼差しが自分だけを見て、自分のことだけを想っているなら、もっと良かったのだが。
彼女の役に立てるのは喜ばしいと思う。けれど、今日の誘いは衛藤の・・・彼女の今の恋人のためだと思うと、少々複雑な心情なのは否定できない。
「まあ、これで多少意趣返しはできただろう」
だが、まだ二人が出会い、付き合い始めてそう経っていないのは、吉羅にも分かる。
あの程度のことで二人が仲違いするというなら、それはその程度の絆でしかなかったという事だ。
学生同士の恋愛程度なら、まだ十分に自分にも彼女を奪える可能性はある。
「まだまだ油断をするのは早いぞ、桐也。
ま、どこまで捕まえておけるのか・・・お手並み拝見と行こうか」
ひと回り年下の少女と、やはり同じくらい年下の従兄弟にこうも振り回される自分を滑稽に感じながらも――それもまた面白いと、吉羅はそっと笑みを浮かべるのだった。
いよいよ3月30日、衛藤の誕生日当日を迎えた。
朝はいつもより早く起きて、彼は甘いものも好きだから、ケーキも作った。
ラッピングもして、あとは吉羅に付き合ってもらって買ってきたプレゼントと一緒に渡すだけだ。
「吉羅さんも太鼓判押してくれたし、大丈夫だと思うけれど・・・喜んでくれるといいなぁ」
髪型も常の3倍くらい時間をかけ、気合を入れてセットしたし、服もお気に入りのワンピースに、姉に借りた靴と教わったメイクをして準備は万端。
肝心の衛藤との約束も、ちゃんと取り付けておいたから昼ごろには会えるだろう。
それでも、何度も鏡を見て自分の姿を念入りにチェックしたり、姉にも大丈夫か確認してしまうのは、やはり乙女心ゆえか。
「っていけない!そろそろ出ないと、時間に遅れちゃう」
そんな事をしているうちに家を出る時間になっていた。
先日彼と会った時も、音楽祭翌日で疲れてたのだろうと許してくれたとはいえ、寝坊して一時間も遅刻したのだ。
また待たせてしまってはさすがに申し訳ない。
「あ、でもそうだ。あとこれだけ・・・」
思いつき、取り出したのは彼にホワイトデーにもらったお揃いの指輪と、クリスマスにもらった髪飾り。
それらを素早く指と、髪に付ける。
彼と会う時には、できるだけ付けるよう心がけているのだ。
今度こそ支度を終え、プレゼントと手作りのケーキ、財布や携帯といった貴重品だけ持ったかきちんと確認すると、勢い良く香穂子は家を飛び出す。
はやる気持ちを抑えながら、衛藤が来るであろう海岸へと急いで行くのだった。
「衛藤くん、まだかな・・・?」
待ち合わせた海岸に、約束した正午近くに到着できたが、衛藤の姿はまだ見えない。
潮風を吸い込みながら、辺りを見回すと、こちらにゆっくりと歩いてくる彼を見つけた。
「あ、衛藤くん!」
姿を見つけ、大きく手を振って声をかけるが、リアクションが薄く、香穂子は首を傾げる。
「・・・香穂子」
「久しぶり!・・・衛藤くん何か機嫌悪い?」
「・・・別に、そんなことないけど。それよりわざわざ呼び出して何の用?
俺も入学近いし、色々と忙しいからさっさと済ませてくれる」
(「やっぱり何か怒ってるよ・・・」)
久々に会えたのに、やはり今日の衛藤は何故か機嫌が悪い。
これでは、せっかくのプレゼントも喜んでくれるかどうか、香穂子は不安になる。
しかし、ここまで来て引き下がる事も出来ないかと腹を括ると、香穂子は口を開いた。
「あ、あのね・・・誕生日おめでとう!今日衛藤くんの誕生日でしょ?だからプレゼント渡したくて――はい!」
勢い良く言い切ると、香穂子は持ってた紙袋を、目前の彼の手に押し付けるように渡す。
対する衛藤は、思いっきり驚いたらしく、基本冷静な彼には珍しく、目を丸くしている。
「誕生日・・・?覚えていたのか、あんな他愛ない話・・・」
「覚えているに決まってるよ!大事な日だもん、ね、開けてみて」
まだ動揺が抜けないらしく、言われるがまま衛藤は袋から二つの箱を取り出して開けた。
中に入っていたのはケーキと、黒地にグレーのドット模様が入ったシックなネクタイだった。
「ケーキと・・・ネクタイ?」
「うん、もうすぐ学院の音楽科に衛藤くん入るでしょ?
制服もタイだし、演奏の時の衣装もそういうかっちりしたもの着る機会、これから増えるだろうから、普段でも使えそうなの贈ろうかなって思って」
そこで衛藤はハッと何か思い当たったような顔をしたが、一生懸命説明していた香穂子は気づかない。
「でも、私、紳士服はよく分からなくて。だから吉羅さんにも見立てるの手伝ってもらったんだけど・・・気に入ってくれた?」
心配そうに衛藤の顔をようやく覗き込もうとすると、いきなり思い切りデコピンされてしまう。
「んなっ?!い、いったーい!な、何するの?!」
睨みつけてやろうとしたが、急に大きな声をあげて彼が笑っていたために、今度は香穂子が驚いて声を失くす番だった。
「え、衛藤くん・・・?」
「はははっ・・・いや、こんなに笑ったの久しぶりだ・・・おかしいったらありゃしない」
まだ笑いが収まりきらないらしく、しばし肩を揺らしていたが、ようやく落ち着いて前髪をかきあげると、こちらを真っ直ぐ見つめてくる。
「全く・・・俺をこんなにびびらせてくれて・・・ホント侮れないな、あんた」
「え、だから、何の話?」
「ホントに、分からない?――だったら少し教えてやらないとな・・・あんたがどんだけ隙だらけかってこと」
彼が何で笑ったのか分からず、首をひねっていると――次の瞬間、音もなく額に彼の唇が触れていた。
「なっ・・・」
「・・・つまんない嫉妬だよ。あんたと暁彦さんが一緒に居るとこ見て、勝手に不愉快になってたの俺が」
「あ・・・あれ見てたの?」
「ああ、全く馬鹿馬鹿しいよな。声かけとけばこんな変な誤解しないで済んだのにさ、ホント取り越し苦労だ」
そっと香穂子がくれたプレゼントを一瞬、見つめた後、今度は目の前の彼女に視線を投げる。
「そんなに俺のために悩まなくたって良かったのに。俺はあんたがくれる物なら何だって嬉しいのにさ。
・・・ま、もらっとくけど、・・・ありがとう、香穂子」
その言葉に、心底嬉しそうな笑顔を浮かべて、本当に嬉しそうに香穂子はする。
すると、今度はそんな彼女の表情を見て、意地悪をしたくなりもう少しからかってみる事にする。
「しっかし・・・あんたさ、そんな顔を暁彦さんとか、他の男の前でもしてるわけ?」
「そ、そんな顔ってどんな顔なの?」
「・・・マジで自覚ないのか。さっきのでまだ分からない?」
「う、うん・・・」
自分を嫉妬させた仕返しの意味と、ちょっとした悪戯心でしたキスだったが、その後見せた無防備な顔は――とても他の男には見せたくないモノだったというのに。
・・・無意識ほど恐ろしいものはない。
「じゃ、もっと教えてやらないとな。あんたがどんだけ可愛いかってこと」
「ええ?!何、それ?」
そう言っただけなのに、途端に真っ赤になってしまう。
初心で純情で・・・無意識に男を惑わしているのだから、からかうこちらが参る。
「なあ、そろそろ呼び方も変えないか?」
「な・・・何、やぶから棒に」
「まあいいからさ。いい加減俺のこと名前で呼んでもいいだろ、俺もあんたを名前で呼んでるんだし」
「衛藤くんは最初からそうだったじゃない!」
「そりゃそうだけどさ、今日は俺の誕生日、なんだから、もう少しくらい俺のお願い、聞いてくれてもいいだろ?」
更に顔を赤くして黙り込んでしまう。
だが、あれほど自分を焦らせたのだ、やられっぱなしでは気が済まない。
「・・・き、桐也、くん?」
「・・・疑問系なのは微妙だけど・・・ま、今日はこれくらいでいいか」
今度こそすっかり赤面して、言葉を失くしてしまった彼女を見て、いじめ過ぎたか、と解放してやることにする。
でも、まだ肝心な事を言ってない。だからそっと華奢なその体を抱き寄せて、腕に収めながら後一言だけ、と囁いた。
「・・・プレゼント、ありがとな。でも、言っとくけど今みたいな無防備な顔、他の男には見せるなよ。
あんたが可愛いってことは、俺だけが知ってればいいんだから、な」
こうしてると、自分が彼女を振り回しているようで、実際は自分の方がよっぽど振り回されてる。
当の香穂子は気づいていないのだが。
これからも、こうして主導権を握ってるようで、彼女に握られて、振り回されて、慌しく時間が過ぎていくのだろう。
それでも、きっとそんな騒がしい毎日も、多分悪くない。
この腕の中の温もりも、そうして共に過ごす時間も、彼女が奏でる音色も――全てが愛しくて仕方ないのだから。
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