Valentine’s Blessings
「うーーーん・・・確かにこれだけ種類があると、目移りしちゃうなぁ。
・・・それにしても、菜美ったら相変わらず強引なんだから・・・」
昼休みになり、香穂子は先ほど乃亜と見ていたものと同じ本を、今度は一人で読んでいた。
あの後、教室に遊びに来た菜美にも、同じように特定の相手にチョコレートを贈る予定はないと言った。
しかし、彼女はだまされてはくれず、件のレシピ本を押し付けたあげく。
『バレンタイン前日の土曜日に、冬海ちゃんの家でお菓子作り教室やるから、あんたも来なよ!
あ、お泊りでパジャマパーティーもする予定だからそのつもりでね』
と香穂子の意見など耳を傾けないで、さっさと教室を出て行ってしまった。
そのために、当日作るお菓子を決めておくようにと言われて、結局本を預かる形になってしまったわけである。
まあ、冬海たちとパジャマパーティーをするのは楽しみなのだが。
「とはいえ、本当にどれにしよう・・・」
「私ならこれがいいがね」
「?!り、理事長・・・いきなりそんな近くで話しかけないで下さい!」
「おや、驚かせてしまったかね。
先ほどからここに来てたが、君がなにやら熱心に読んでいたから何かと思って見に来ただけなんだが・・・
これほど近づいても気づかないとは、大した集中力だな」
そう言うと、吉羅はわざとらしく驚いた表情をして両手を広げてみせるが、今更そんなことで香穂子はだまされない。
顔が明らかに悪戯が成功したというような楽しそうなものだからだ。
しかも、ここは滅多に人など来ない普通科の屋上。
ましてこの寒い時期に誰もくるはずはないだろうとここでお菓子の本を見ていたのに、渡そうと思ってる張本人に会うとは。
その上、いきなり耳元で声をかけられたら驚くに決まっていた。
そしてまだ先ほどの衝撃から抜け出せず頬が熱いのを感じていたが、分かっててもどうすることも出来ない。
「で、あ、あの・・・理事長はこれがいいんですか?」
そう言って、香穂子が指を差して示すのは、丸くて可愛らしい見た目の小さなチョコレートケーキ。
ラム酒をたっぷりと効かせたラムボールというお菓子だ。
「ああ、そう言った。・・・しかし、一応今は休憩中なのだからその呼び方はやめてくれないかね」
「え、あ、すいません。えと、吉羅さん」
「よろしい。まあ、参考にするかどうかは君の勝手だがね」
吉羅の言葉に含みがあることに気が付き、香穂子が見上げてみると、浮かべる表情もこれまた何か含んでるようなあの意地の悪い方の笑顔だった。
とっさに香穂子はその態度に、まさか自分の考えてることがバレたのかと狼狽する。
(「や、で、でも、今のやり取りを思い出しても、特に私変なこと言ってないよね・・・?」)
そうだ、落ち着け自分。と彼女は自身を戒めた。
今の会話の中で吉羅に渡すつもりだという趣旨のことは、一つも口に出してない。
だからバレてはいないはずなのだ。きっと自分の思い過ごしで、バレるのではないかとビクビクしてるからそんな気がするだけに違いない。
そう自分を納得させて、一つ大きく深呼吸をして落ち着かせた後に、香穂子は再び口を開いた。
「え、ええ、参考になんてしないです。吉羅さんに聞いてないし、これは友達にあげるつもりで見てましたから」
自分で言って後悔する。これはいくら何でも可愛げなさ過ぎだろう。
「ああ、まあせいぜい頑張りたまえ。ヴァイオリンと勉強に支障を来たさない程度にね」
けれど、吉羅は全然不快そうな顔をすることはなく、むしろどこか笑いを堪えるような楽しそうな表情をして。
香穂子の頭をくしゃっと優しく撫でると、機嫌よさ気に口笛なんか吹きながら立ち去ってしまった。
「っ・・・」
こうして時折他愛も無い話をしたり、休日にどこか誘われて一緒に何度か出かけたりもした。
でも、さっきみたいなスキンシップには全く慣れていない。
特に不意打ちだと、一瞬呼吸が止まってしまいそうになる錯覚を覚える。
今だってまだ動悸が激しいのも、心臓が脈打ってるのもはっきりと分かるーー分かってしまう。
相手は自分の気持ちなど知らないはずなのにーー背伸びしても、やはり踊らされてしまっているのは認めざるをえず、香穂子は熱っぽい溜息を吐くのだった。
後日練習室で、結局は彼が希望したラムボールのレシピを見つつ、香穂子は譜読みしたりヴァイオリンの練習をしていた。
「あれ?でも・・・考えたら、14日って理事長学院にいるのかな?」
色々と舞い上がったり、慌ててたりしてすっかり失念してしまったが、彼の当日の予定を自分は知らない。
しかし今更あんなそっけない発言をしてしまった以上、改めて予定を本人に聞けるはずはなかった。
仕事をしている確率は高いものの、もしかしたら外に出てしまってるかもしれない。
確かめる必要はあるが、本人に聞けないとなるとさてどうしたものかと香穂子は悩み始めてしまう。
すると、頭を抱えている香穂子の姿に反応したのか、まばゆい光を放って見知った妖精が現れた。
「何だ、何だ、日野香穂子〜。何をそんな不景気な顔してるのだ?」
「あ、リリ!」
「何か悩みがあるなら、相談に乗ってやるぞ!」
「あ、そう?ちょうどよかった。なら、理事長って14日は学院にいるかわかる?」
リリの登場の方が先日の彼の出現よりも驚かないというのもどうなのだろう、と一瞬思ったが、グッドタイミングだった。
こんなことを聞けるのなんて、金澤かこの妖精くらいしか思いつかないのだから。
「何だ、お安い御用なのだ。ちょっと待ってろ、今聞いてきてやるのだ」
「ええ?!そ、それは困るよ。あの人の予定を私が知りたがってるなんて知られたらまずいんだよ」
「ふっふっふ、我輩をなめてはいけないぞ。
お前が考えてることなどお見通しなのだ、上手くやってくるから待ってろなのだ!」
そう言い残すと、香穂子が止める間もなくあっという間に光に包まれて消えてしまう。
不安は尽きないが、今はリリに任せるしかないので、とりあえずは再び練習を再開した。
「吉羅暁彦〜!元気にしてるか」
「・・・何だお前か、アルジェント・リリ」
「むっ、何だとは何だ!失礼な!」
「見ての通り、私は忙しいんだ。暇なら日野くんの所にでも行ってろ」
いつも通りのやり取りだし慣れてはいるが、どこまでもそっけないこの男の対応にはいかな長い付き合いのリリでも呆れる。
全くこんな素直じゃない男に引っ掛かってしまった香穂子に、吉羅と深い縁がある妖精でも同情せずにはいられなかった。
「そんな愛想が無いからモテないのだ!どうせ、バレンタインも一人寂しく仕事だろう」
「ふん、別にいつも仕事は一人でしているのだから寂しくもなんともない。
お前にそんな心配をされるとは余計なお世話だ」
「ふふふ、心配するな!そんな一人寂しいお前に当日はちゃんと我輩がプレゼントしてやるぞ!
一個もチョコをもらえないということはないからな」
「・・・人の話を聞けと何度言ったら分かるんだ。この非科学的生物は・・・」
やれやれといった風ではあったが、とりあえず自分を追い出すのは諦めたようだ。
何だかんだ言っても付き合いは長いだけに、丸め込むこともその気になればリリにはたやすいことである。
「では、我輩はそろそろ行くのだ〜。せいぜい頑張れなのだ〜!」
去り際に一言残して目的を果たした妖精は、さっさと消えて香穂子がいる練習室へと向かった。
再び音がして閃光が現れたのに気づいた香穂子は、はっとしてその方向を見上げる。
「戻ってきたぞ〜日野香穂子!」
「あ、お帰りリリ!それで・・・どうだった?」
「うむ、やはり14日も学院で仕事のようなのだ。チョコを渡せるぞ、良かったな日野香穂子!」
リリに見事に考えを見抜かれてる事に香穂子は一瞬動揺したが、当日彼が学院にいる事が分かってホッと息を吐いた。
「う、うん・・・まあ・・・ね。あと理事長・・・気づいてなかったよね?」
「もちろんなのだ!我輩がそんな失態をするはずなど・・・」
とここまで言ったところで、急に妖精は黙って考え込んでしまう。
「ど、どうしたの?リリ」
「え、い、いや・・・な、何でもないのだ。
我輩は吉羅暁彦より何倍も生きておるのだぞ、そのような失態しないのだ!」
「そ、そっか・・・そうだよね。心配しちゃってゴメン、ありがとうね」
「分かればいいのだ」
「うん、で、せっかくだからお礼に一曲演奏しようか?」
「もちろんなのだ!喜んで聴いていくぞ!」
そして妖精のリクエストに答え、にこりと笑って香穂子はヴァイオリンを奏で始めた。
一方、リリはヴァイオリンをしっかり聴きながらも、一抹の不安を覚えていた。
(「だが、今から思えば最後のほうは珍しく機嫌が良かったような気がするのだ・・・」)
いつもならば、自分が顔を出したらまず追い出しにかかるあの男が、今日はそうしようとしなかった。
ひどく些細な変化だから分かりにくいが、長い付き合いなのでなんとなく分かる。
今日の吉羅はいつもに比べれば大分機嫌が良かった。
もしかしてこれは、自分の魂胆を見抜かれていたのだろうか?
(「いや、しかし・・・我輩、何もまずいことは言ってないはずなのだ・・・
うん!そうだきっと気のせいなのだ」)
一人そう納得したリリは、目の前の少女の演奏に意識を戻す。
それに、彼が香穂子が思う以上に、彼女を特別に想っているのは確かだ。
以前リリが普通科の屋上で二人を目撃した際、あの仏頂面がーー本当にこのうえなく珍しいがーー和らいで笑顔さえ浮かべていた。
相当気を許している相手でなければ、あの頑固な男が、まかり間違っても笑った顔など見せるはずがない。
香穂子がバレンタインにチョコレートを贈ったなら、とても喜ぶことだろう。
たとえ、本人に言ったところで絶対認めないだろうが。
音楽の祝福を与えた少女と、学院の創立者の志を継いだ創立者一族の男。
自分としては、どちらも大切な人たちだから幸せになって欲しい。
だから、ついつい余計な世話だと言われても、色々協力したくなってしまう。
そう思いながら、天衣無縫な妖精はその大切な存在の一人である少女の音色に耳を傾けた。
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