バレンタイン前日、約束どおり、香穂子は冬海の家に行くため、家を出て約束した駅で天羽を待っていた。
「おっ待たせ〜!」
「あ、菜美!おはよう」
「おっはよう!さてさて、DVDもお菓子も用意したし・・・
パジャマパーティーの準備は万全だね!」
「うん、みんなでお泊りなんて合宿の時以来だから楽しみだな〜」
衛藤の容赦ない指摘から都築が提案した去年のアンサンブル合宿を思い出して、香穂子は自然と笑みがこぼれる。
最初はどうなることかと思ったものだが、実際行ってみれば、ヴァイオリンの指導は王崎が買って出てくれたし、気心知れたメンバーでの合宿は想像以上に楽しかった。
「あ〜去年のあれね。中華街行けなかったのは残念だけど、楽しそうだったしよかったじゃん」
「菜美には悪かったけどね。王崎先輩の指導のおかげか中々上達したと思うし、予想外だけど面白いこともいっぱいあったよ」
「なるほど、その色々あった予想外の中に、今回のチョコ渡す相手と何かあったわけね」
「な・・・そんなこと全くないよ!」
にやりと笑う天羽にいきなり図星を突かれ、香穂子は冬の朝には不釣合いに顔が火照るのを自覚する。
確かに、実はあの時が、彼を意識する最初だったのかもしれないと思う。
まさか合宿所に来ないだろうと思ってた吉羅が、突然深夜に現れて、冗談で子守唄を歌って欲しいと頼んでみたら本当に歌ってくれて。
しかも、めったに見せない柔らかな笑顔のおまけ付き。
自分を広告塔として利用することしか考えてない冷たい人だと思っていたのを、払拭してしまうくらいには、あの日の彼は本当に優しかったのだ。
「もう・・・それより、冬海ちゃんがきっと待ってるよ。早く行こう!」
「え〜ま、仕方ないか。今日はまだまだこれから。あとでゆっくり聞きだすからね」
香穂子は、あとでたっぷり冷やかし混じりに尋問されるだろうことには頭を悩ませながらも、ひとまず冬海の家へ向かうことに意識を向けるのだった。
「わー!本当に大きな家だね・・・家とは比べ物にならないよ」
「右に同じく・・・」
初めて訪れた冬海の家の大きさは予想以上で、二人揃ってしばらく言葉を失くす。
月森や柚木の家にも、色々縁があってお邪魔した事はあったが、それと張り合えるくらいには大きい。
しかも、おしゃれで可愛らしい、テレビに出てくるような洋館をイメージさせる立派な家構えだ。
「と、とにかくここで突っ立っててもしょうがないでしょ」
「そ、そうだね」
天羽の激励に押されて、香穂子は思い切ってチャイムを鳴らす。
すると、すぐに聞き慣れた愛らしい声が聞こえてきた。
「あ、おはようございます。今門を開けますからどうぞお入りください」
言ったと思うと、門が開いて二人を迎え入れる。
遠慮なく扉に向かって歩いていくと、鍵を開ける音が聞こえた後に、中から冬海が出てきた。
「香穂先輩、菜美先輩。ようこそいらっしゃいました、今お茶を淹れます」
「おはよう、冬海ちゃん。いいよ、そんな気を遣ってもらわなくて」
「いえ、お二人をお迎えできて私、すごく嬉しいから・・・どうぞ中に入ってください」
後輩の穏やかな笑顔に、癒されて緊張が解けた。
家に入って、しばらくは案内されたリビングで淹れてもらった紅茶を飲みつつ、談笑する。
「わーこのクッキー、さくさくで美味しい!冬海ちゃんの手作り?」
「はい、先輩がたが来てくださるから、今朝母と二人で焼いたんです」
「えーそんな、何か悪いな。ありがとね」
「いいえ、お菓子作りもお料理も好きだからいいんです。気に入っていただけてよかった」
にっこりと笑う顔は、いつものことながら愛らしい。
これでは、きっとバレンタインはさぞ大変なのだろう。
「つくづく冬海ちゃんのチョコ欲しがる男、大勢いそうだよね〜」
「ええっ?そ、そんなことはないです・・・」
「いーや、気づいてないだけで絶対そうだって!
ま、冬海ちゃんにはもう決まった相手いるから大丈夫だけどね」
今度は、冬海が天羽の言葉に真っ赤になる番だった。
しかし天羽が今言ったことは多分真実だから、香穂子もなだめようがない。
事実、香穂子はずっと気になる相手などいないといくら否定しても、天羽には全く通じない。
それどころか、恐ろしいほど情報通の彼女のことだ。
もう、自分と吉羅が時折プライベートで何度も一緒に出かけてる事も掴んでるかもしれない。
何故かここで自分のことを考えてしまっていることに気づくが、せっかくそこから話題がそれてるのだから乗った方がいいだろうと、すぐに話に参加する。
「うん、火原先輩ならいい人だもんね。安心して冬海ちゃんを任せられるよ」
「香穂先輩まで、そんな・・・」
「褒めてるんだよ。冬海ちゃんは大事な友達だから幸せになって欲しいもの」
「先輩・・・ありがとうございます。あ、そろそろお部屋にご案内しますね」
照れながらも、冬海がとても幸せそうで満ち足りた表情をしている事に香穂子は安堵した。
もちろん、当人同士の問題だから、色々と言うべきではないが、やはり親友だからついつい余計な世話を焼きたくなってしまう。
順調に交際をしているらしいことに、香穂子は我が事のように喜びつつ、冬海の後に付いて行くのだった。
「ここが私のお部屋です」
「すごい!可愛い部屋〜!」
冬海の部屋へと案内されて入った瞬間に、歓声をあげる。
淡いピンクのカーテンに花柄のカバーのベッド。
アンティークなデザインのチェストが置かれ、ベッドにもレースのカーテンが付いている。
自分で飾ったらしい花瓶に入った花や花でできたリースもあり、まさに女子の憧れのような空間だった。
「家具もセンスが良いけど、雑貨も可愛い!
ぬいぐるみも可愛いのたくさんあるけど、きちんと整理されてるし」
「お花も綺麗だね。あと何かいい香りがする・・・?」
「あ、はい。桜の香りのアロマキャンドルを見つけたので・・・」
「素敵〜。やっぱり冬海ちゃんセンスが良いよね、尊敬しちゃう」
「あ、ありがとうございます。狭くて申し訳ないですけれど、ゆっくりしてくださいね」
「全然、狭くないよ〜むしろ広いって」
「いえ・・・あ、あの寝る場所は私、今夜はソファを使うので、先輩方はベッドを使ってください」
「駄目だよ、そんなの!私たちがソファで寝るからさ」
「で、でも、その・・・」
「じゃあ今夜は3人一緒にベッドで寝ようよ。
このベッド大きいから十分寝れると思うし、せっかくだから川の字になっていっぱいおしゃべりしたいし、どう?」
ベッドか、ソファか論争で話が終わりそうになかったので、香穂子は慌てて妥協案を出す。
「賛成!冬海ちゃんもそれでいい?」
「は、はい。もちろんです」
「なら決まりだね。さて、それでまず何しようか」
「あ、あの、お昼ごはんの用意が出来てますから、よろしければ・・・」
「そっか、もうそんな時間なんだね。じゃあ下に行こうか」
「はい、それからまだ時間ありますから、ご飯の後にお庭を少しお散歩しませんか。
寒いですけど、とても素敵なお庭なんです」
「うん、いいね。それじゃ、下に降りようか」
部屋に着いて早々、話が尽きず、昼食をとってる間も変わらず談笑し続ける3人であった。
昼食を終え片付けた後、庭を散策してから、3人は冬海の部屋で持ってきたお菓子を食べつつ、DVD鑑賞をする。
それから入浴後、夕食をとって再び部屋に戻り、トランプをしながら話に花を咲かせて充実した時間を過ごした。
「あ、もうこんな時間。明日の朝はいよいよお菓子作りだし、そろそろ寝ないと」
「そうですね。電気消してきます」
「本当ありがとね、冬海ちゃん。全部やってもらっちゃって、ご飯も美味しかったし」
「いいえ、こちらこそ食事の片付け手伝っていただいてしまって、ありがとうございます」
「いいんだよ、私たちは泊めてもらってるんだから。明日も楽しみだね」
「は、はい・・・。私も楽しみです、先輩たちとお菓子作りするの」
香穂子と冬海は互いに顔を見合わせて微笑む。
「さてさて、でもまだ寝ないよね?夜はまだこれから、今日は色々聞かせてもらうよー」
「え、やっぱり〜?」
せっかく親友二人と楽しく過ごして、このまま寝てごまかせるかと思ってたのに、やはり天羽は甘くない。
「じゃあ、まずは冬海ちゃんから!火原先輩とは最近どう?」
「えと、その・・・最近はお忙しいみたいであまりお会いしてないです」
「えー上手くいってるように見えたのに、すれ違っちゃってるの?」
香穂子と天羽は思わず目を見開いた。
「いえ、そんなことはありません。ただ、勉強もですけど、王崎先輩がウィーンに行かれてからボランティアもいくつか引き継がれたりしてお忙しいみたいで・・・
でも、そんな風に夢に向かって一生懸命頑張ってる先輩が私は素敵だと思いますし、記念日とかは時間を作ってくださいますから」
「もうーご馳走様だね!ホント幸せそうで」
しっかりからかわれてる冬海を香穂子は不憫に思いながらも、こうのろけられてしまっては、聞いてる方が恥ずかしく、フォローする言葉が見つからない。
「そ、そんな・・・菜美先輩も土浦先輩と上手くいってらっしゃるんでしょう?」
「うーん、まあこっちもお互い忙しくて、最近はあまり会ってないんだけどねー」
「やっぱり忙しいの?」
「まあ、ね。梁太郎は音楽科に転科して勉強もあるし、都築さんにもよく指導してもらいに行ってるみたいだし・・・
私は私で報道部もバイトもあるし、受験生だし、なかなかねー」
しかし、天羽も話し振りとは裏腹に顔は楽しそうなものだった。
「だけど、まあ同じ学校にいるんだし、分かってるからさ。お互い夢に向かって頑張ってるんだってーー目指すものがちょっと違うってだけで。
だから心配はしてないよ、それより、あんたはどうなの」
思わぬタイミングで話を振られて、香穂子は困惑する。
「わ、私?」
「そうだよ、だってあんたは付き合ってる人はいないんでしょ。でも気になる人はいる、本当のところどうなってるのさ」
ワクワクと目を輝かせて天羽は自分を見つめ、冬海はおろおろしながらも興味があるらしい視線を向けてくる。
心底どうこの場を切り抜けようかと香穂子は途方にくれた。
「・・・別に深い意味はないよ。多分相手はそういう風に私のこと見てないだろうし」
そう、それが事実だ。
立場が違いすぎるし、去年もホワイトデーにお返しをくれたけれど「親愛の情だ」と言い。
たまたま言葉のあやで、自分たちは付き合ってるのかと勘違いして聞いたら、返ってきた返事は「考えた事もなかった」だった。
今年のチョコレートだって、自分がただ贈りたいから贈るだけだーー二人に聞かせるようなことは何もないのだから。
「えーあんたらしくない、やる前から諦めるなんて。そんなこと言わないでアタックしてみなよ!」
「わ、私もそう思います・・・香穂先輩が大変でも頑張ってるのを見て、私、勇気をもらったから。
一緒に頑張りましょう。私たちも出来る限り協力しますから・・・」
「そうだよ!親友なのに、何も話してくれないなんて水臭いじゃん。」
「菜美・・・冬海ちゃん・・・」
親友たちの真っ直ぐな想いに、香穂子は涙ぐむ。
確かに二人とそして仲間たちの協力で、自分は幾度も難局を乗り越えてきた。
もしかしたら彼女たちが一緒なら、また奇跡は起きるのだろうか。
「本当に欲しいものなら簡単に諦めちゃ駄目だよ。あんたの取柄は素直なとこなんだから」
「・・・うん、二人ともごめんね。ありがとう」
二人のおかげで少しふっきれた気がした。
ようやく少しだけではあるが、香穂子は本音をもらす。
「相手はずっと大人で、年も離れてて・・・子供としか思われてないと思うの。
だから、その人にも素直に気持ちを言えないし、二人にも言うに言えなかったんだよ。信じてないとかいうことじゃないからね」
「分かったよ、でも、今度からはちゃんと相談するように。一緒にどうしたら上手く行くか考えるからさ」
「うん、そうするね」
「でも、それならそれで、明日はいいチャンスじゃん。
告白するかどうかはあんたが決めることだけど、チョコ渡して反応見なよ!」
「・・・やっぱりそうしなきゃ駄目?」
「あったり前でしょ!こんなチャンスそうそうないんだから、そもそもの目的だってチョコ用意することでしょ」
「うっ・・・」
「ほら!頑張るって決めたんなら行動あるのみ!考えるのは後ですればいいんだから!」
「私もお手伝いしますから・・・頑張りましょう、香穂先輩」
・・・二人の気持ちは嬉しい。嬉しいのだが。
やはりあの仏頂面で何考えてるか分からない、気まぐれで気難しい男相手だと上手くいくか不安になってしまう。
明日のことを考えて、香穂子は心配でなかなか寝付けないで何度も溜息をつくのだった。
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