「では、始めましょうか」

「よろしくお願いします、先生!」

「一生ついてきます!」

「そ、そんな・・・いつも通りでいいです。お二人とも」

翌朝、早起きして日がまだ昇る前に三人は、冬海の家のキッチンに立っていた。
冬海は彼女が好きなピンク色の愛らしいエプロンを、香穂子と天羽の二人も、同様にエプロンとバンダナで長い髪をまとめた格好になり、気合は十分である。

装いを変えても、慌てる姿も可憐な冬海が三人の中で一番女子力が高い事に変わりはないのだが。

「へへ、ゴメンゴメン。冬海ちゃん可愛いから、ついからかいたくなって」

「まあ、冗談はこれくらいにして、やろうか!」

やがて各々自分の作業に没頭しつつも、時折お互い手伝いながら、三人とも納得のいく作品が出来上がった。

「冬海ちゃんはチョコケーキ作るって言ってたけど、やっぱり上手だよね〜!お店に売ってるのみたい」

「美味しそー!バナナたくさん使ってるのも火原先輩好きそうだし」

「あ、ありがとうございます。和樹先輩はケーキがお好きなので・・・」

ケーキは生地にふんだんにバナナが使われてるのはもちろん、輪切りにしたバナナをホールのケーキの上に一周するように飾られている。
さらに生クリームもそれを囲むように絞られており、ケーキ屋のものと比べても、確かに遜色のないものに仕上がっていた。

「だけど菜美もすごい!意外な組み合わせだけど、いい感じ」

「ふふふ、でっしょー?ま、冬海ちゃんがレシピ教えてくれたおかげだけどね」

「いえ、菜美先輩もお料理上手ですから・・・とても素敵です」

「ありがと。でも香穂、あんたも上手くいったじゃない。こういうの売ってるし」

「いや、簡単だったし、本の通り作っただけだよ」

謙遜しながらも、天羽にいい評価を聞いて、香穂子はホッとする。

何せ相手はいつも上質なものばかり口にしていて、自分もよくご馳走してもらっているのだ。
味見して問題なさそうで、彼の希望通りにしたとはいえ、手作りのものを渡すなど初めてなのだから、どうしても緊張してしまう。

「ラムボールといえば、中華街の近くのお店にもありましたね」

「そうそう、あの店の有名だし美味しいよねー」

「はい、私も食べた事ありますけど、美味しかったです。
先輩が今日作られたものも美味しいですよ」

「そう?冬海ちゃんが褒めてくれると、安心するな」

「もしかしたら、あんたが渡す相手もあの店の知ってて好きなのかもね」

そのラムボールは、確かに横浜に住むならまず知らない人は居ない、有名なお菓子だ。
なるほど、彼が好きなものなら知っておけば今後の参考にもなるだろう。
調べる価値はあると思えた。

「何はともあれ、これでみんなバレンタインの準備は万全だね!健闘を祈る!」

「は、はい、頑張りましょう。喜んでいただけるといいですね」

「うん・・・そうだね」

確かに、今更バレンタインのチョコレートを渡したとして、何か吉羅との関係に変化があるとも思えない。
それに何より、彼が喜んでくれる事が一番大事なのだから。

そう思うと大分気が楽になり、自然とめったにお目にかかれない吉羅の笑顔を思い浮かべて、香穂子もまた思わず明るい笑みを浮かべていた。


冬海の家を彼女に見送られながら出た後、香穂子は、天羽と一緒に目当ての人物がいる学院へとやって来た。

「じゃあここで。またね、菜美」

「やっぱり一緒に来ない?せっかくオケの練習の見学もできるのに」

「うん、二人の邪魔したくないし、私も練習室予約してあるからヴァイオリンの練習したいし」

「そっかー、相変わらず頑張るねぇ。ま、ヴァイオリンもいいけど、せっかく作ったんだから渡すのも頑張りなよ!」

「わ、分かったよ・・・練習の後ちゃんと行くって。土浦くんによろしくね」

相変わらず抜け目ない親友に舌を巻く思いで彼女に手を振りながら、香穂子も練習室に向かった。


しかし渡すと言ったものの、いざ練習室で練習をしていると、何と言って渡したものかと悩み始めてしまう。

去年のコンサートの後にも吉羅にチョコレートを渡したが、あの時はコンサートの成功と、コンミスとして認められたという達成感がゆえのノリと勢いで渡した感じだった。
今となっては何故あれほどためらわずに渡せたのか、全く分からない。
だが、今年はさすがにそうはいかなかった。
この贈り物を渡す相手に自分が抱いている感情が、間違いなく他の誰に対しても持つ事はない特別なものだと理解しているから。

かと言って、ドラマや物語の中の人物のように「あなたが好きです」とかいったベタな告白はやはりできない。
今の自分が彼に比べて子供過ぎて恋愛対象には見れないと言われてしまえば、確かにその通りだと自覚もあるし、納得は出来る。
けれども、自分が生徒だから、という理由で応えられないという答えだけは聞きたくなかった。

立場ばかりは努力ではどうにもできない問題なのだから、それを盾に拒絶されてしまってはどうしようもない。
それゆえに今日まで自分の想いを秘めたまま、この秘密を守り続けてきたのである。
ここでこれまでのその努力を無駄にはしたくなかった。

しかし、それでは何と切り出して渡したものかとまた思考が振り出しに戻ってしまう。

するとうだうだと悩んでいたためか、またもやいつの間にか見慣れた光と共に顔見知りの妖精が現れた。

「何だ、何だ、日野香穂子〜。また不景気な顔をしているな」

「あ、リリ・・・」

「今日はバレンタインデーだろう。あいつにチョコを渡すんじゃなかったのか?」

「うっ・・・うん、そうなんだけど・・・いざとなると会って何て言ったらいいか分からなくって」

こんなことをしていてはあっという間に一日が終わってしまう。
せっかく日曜日だから渡せるだろうと二人と一緒にチョコレートを用意までしたのに、これではいけないと分かってはいるのだが。

「何を言うか、などいつも通りでいいんじゃないのか?」

「そう言われても、私はあの人に本当のところをまだ言うつもりはないんだよ。
でも、何も言わずに渡すのも難しそうだし・・・」

前述の理由から、リリや友人たちに何て言われようとやはり告白は出来ない。
とはいえ、あの男相手に何の理由もなしにチョコレートを渡して、大人しく受け取ってもらえるとも思えないのだ。
先日、彼の希望など参考にしないと意地を張って言ってしまったのだから、尚更である。

と正直なところをリリに言うと、今度は妖精がしばし考え込み、それから名案が浮かんだでもいうようなニッとした笑顔を浮かべた。

「何だ、簡単ではないか。こんな時こそ音楽の力を借りるのだ」

「音楽・・・ってヴァイオリンの事だよね?」

「そうなのだ、音楽には人と人の心を結ぶ力がある。
時にそれは言葉よりも雄弁なのだ・・・お前も音で想いを伝えればきっとうまくいくのだ」

確かに、以前吉羅の誕生日を祝う時にも演奏をした事があるし、何だかんだと言っても、音楽を通して自分たちは交流してきたという自覚はある。
あのクリスマスコンサートの時にもけして変えられないかと思った彼を、皆で作り上げた演奏で動かす事が出来た。
振り向かせる、とまではいかなくても、少しは状況をいい方に持っていく事はできるかもしれない。
何より、ここまで来て背に腹は変えられない。
賭けてみる価値はあるかもしれないと思えた。

「分かった、やってみるよ、聞いてくれてありがとね。リリ」

「うむ、その意気なのだ!音がよく響く場所でお前の思うように奏でてみるのだ」

「うん、行ってくるよ。また後でね!」

リリに背中を押されて覚悟を決めた香穂子は、勢いに任せて急いで練習室を出て行くのだった。


「よし・・・ここなら他に誰も来ないよね」

辺りを見回した香穂子が駆け込んだ先は、自分と吉羅しか来ない普通科の屋上。

彼の仕事場である理事長室では、いかに今日が休日といえどもやはり個人的な用で行くのは抵抗があった。
ここなら校内であることに変わりはないが、少なくとも仕事中の吉羅の邪魔をしなくて済むと思えた。
人も休日だから余計に来る事もないだろう。

他に人がいない事を確認してから、香穂子は持ってきたヴァイオリンをケースから取り出す。
改めて調弦をしたうえで、さらに用意した楽譜を見つめて一拍後、そっと構えた楽器に弓を滑らせた。

曲はジョスランの子守唄。

この曲に関する思い出は他の誰も知らない。
あの日の事は二人だけが知っている事だから、これを弾けばきっと彼は来てくれる。
自分があの人を呼んでいると分かってくれる。
香穂子はそう信じてただ弾き続けた。


理事長室にいた吉羅は、ふと書類に向けていた目線を上げた。

「この音は・・・全く困ったお嬢さんだな」

しかし、言葉とは裏腹にどこか楽しそうに笑いながら、吉羅は立ち上がる。
この曲を休日である今日、わざわざ学院で弾く人物など、一人しか思いつかない。
何よりも、自分はいつの間にかこの音を聞き分ける事ができるようになっていた。
それくらいにはあの音を気に入っているのだ。

そのうえ、この曲を選んだという事は自分へのメッセージとしか言いようがないだろう。

自分を呼ぶそのヴァイオリンの演奏主に会うため、彼は部屋を颯爽と出て行った。


バンと屋上の扉が開く音に反応して、香穂子は動かしていた手を止める。

「やあ、日野くん。相変わらず精が出る事だね」

「あ・・・こんにちは、吉羅さんも、お仕事ご苦労様です。
・・・あの、もしかして私が弾いてるって分かってここに来ましたか?」

「ああ、仕事をしてたら君のヴァイオリンが聞こえてきたのでね。外の空気を吸いがてら様子を見に来たんだよ」

きっと来てくれるだろうと思って待っていたとはいえ、やはり実際にこうしてその通りに本人が登場すると、嬉しいやら照れくさいやらで落ち着かない。
せっかく会えたのにろくな言葉が出てこないし、視線もあらぬ方向に向けて、まともに目も合わせられなかった。

「で、その曲は前にも聞かせてもらったが・・・好きなのかね?」

「は、はい・・・その、受験に向けての練習も忘れてないですけど、息抜きに・・・」

「気分転換は大事な事だ、構わないよ。・・・君がその曲を気に入ってるというのも嬉しいしね」

後半は小声で何を言ったか良く分からず、香穂子は首を傾げて吉羅の顔を覗き込む。

「え、今何て・・・」

「ーーいや、何でもないよ。それよりもそのヴァイオリンケースの横にある紙袋は何かね?」

「あ・・・そうだった、すみません、吉羅さん。あの・・・これ受け取ってください」

目論見通り彼を呼ぶ事に成功したにもかかわらず、来てくれたのが嬉しくて、肝心の目的をすっかり忘れそうになった。
それでも、どうにか思い出して渡そうと思ってたプレゼントを差し出す。

「これは・・・ラムボールか」

「はい、今日はバレンタインだから・・・」

「そうか・・・しかし大変だね、男はもらうだけだからいいが、女性は義理も配らなければなんだろう?他にも渡したのかね」

「えっ?!い、いえ、他には誰も渡してないですよ!」

何故か彼の機嫌が悪そうだったのが気になったものの、条件反射でそう答えてしまっていた。
すると、今度は急に楽しそうな表情になり、自分の発言に気が付いて香穂子はハッとする。

「では、私にくれたこのチョコレートは、どういった意味と捉えればいいかな」

「え、え、それは・・・あ、あれです!吉羅さんは毎日仕事で大変そうだから・・・差し入れです!」

とっさに口走っていた事だが、我ながらなかなか上手い言い訳だと思った。

「なるほど、差し入れ、ね」

「そ、そうです!甘いものは疲れを取るって言うし、たまたま今日はバレンタインだからこういうのもいいかなって、他意はありませんから・・・」

そうだ、けして変な言い訳はしてないはずだ。けれど、焦ってるせいか、相変わらず吉羅は楽しそうにククッと笑うばかりだ。

「もう!人の話聞いてますか?!」

「・・・悪い。聞いてるよ、分かった、ありがたく頂こう」

楽しそうに笑う笑顔に、うっかりときめいてしまったが、その様子にきっとまたからかわれたのだと香穂子は頬を膨らませる。
・・・まあ喜んでもらえたのは良かったのだが。

しかし、吉羅が渡したラムボールを一粒口にすると、口に合うか気になり、怒りを忘れる。

「どうですか?味・・・」

「・・・悪くない。だが、気になるなら君も食べてみるかね?」

「え?」

香穂子が返事をする前に、彼の指が一粒つまんだラムボールを彼女の口に運ぶ。
吉羅の指が唇に触れて、香穂子の頭は真っ白になった。
身動き一つとることができない。

「き、吉羅、さん・・・」

「・・・・・・」

名前を呼んでみても、返事は返ってこない。

きっと今日も彼は車で出勤しただろうからと、ラム酒の量は控えめにした。
ところが、食べさせてもらってみると、味見の時とは違い、何だかふわふわと酔っ払ったみたいに思考が回らなくて、とても甘い。

「・・・いかがかな。お嬢さん」

「・・・お、美味しい、ですけど・・・別に自分で食べれますから」

「そうかね、だが、随分足がふらついててぼんやりしているようだが」

平然と話しながら、またもや可笑しそうにこちらを眺めて自分をベンチに導くこの男が憎らしくて仕方ない。

何も言ってこないのだから、自分の気持ちなど彼は知るはずないのだ。
なのに、時折全部分かって面白がってるかのような振る舞いをするのが腹立たしい。
それでも彼はけして本心を見せようとはしないのだ。
つくづく自分は厄介な人に引っかかったものだと思わずにはいられない。

「まあ、まずまずじゃないか。しかし何であれ、お礼はしなければいけないね」

「え、いいですよ、私が勝手に贈っただけですし・・・」

「そうもいかないだろう。とりあえず・・・」

素早く吉羅の指が香穂子の髪をするりと掬う。そしてそのまま口付けた。


香穂子の目が今度こそ大きく見開かれ、唖然とする。

「っ?!な、な、なーーーっ?!」

「そう大声をあげなくてもいいだろう」

「そんな事より!何ですか今のは!」

「分からなかったかね?ならもう一度・・・」

そう言って、再び彼女の髪に口付けようとすると、真っ赤になって香穂子が慌てて身を離す。

「い、いいですから!そうじゃなくて、どうしてそんな事するか聞いたんです!」

「理由か?そうだな・・・まあこれが私の礼、だよ」

「意味が分かりません!」

「君は素直すぎるから、隙だらけだって事を教えるためだよ。教育料、といったところか」

そう、彼女は分かっていないが、その素直な性格を好んで近づく悪い虫は実は少なくない。
少しは警戒してくれなければ、香穂子がいずれ旅立つ時は見送ってやろうと思っているものの、心配ではある。
そうやってちょっと触れると、真っ赤になってすぐ慌てるのを見るのが面白いというのもあるのだが。

「そ、そんなに私って隙がありますか?」

「ああ、だから気をつけたほうがいいよ。私みたいに悪い男がいるかもしれないしね」

「は、はい・・・」

一応納得したらしく、すぐに返ってきた素直すぎる反応に、今度は苦笑した。

裏表がなくてまっすぐで、眩しいほどの潔い彼女が自分は好きだ。
しかし、やはりもう少し男に注意する事を、共に過ごせる時間の間に教えなければならないなと思う。
金澤がイタリアに留学していた関係で多少は聞かされているが、あちらの文化ではこういった男女のことに大分オープンだと聞いているから尚更に。

とはいえ、これ以上続けると、今度は自分の方がうっかり余計なことをしたくなりそうだから、今はやめておくことにした。
せめて卒業の時までは、まだ理事長と生徒であるべきだろう。
彼女の築いてきた名声に傷をつけないために。

「さて、冗談はこれくらいにして。君はこの後時間があるかね?」

「へ?は、はい、練習以外は何もないです」

「ならば、この後も仕事であまり多く時間はとれないが、昼食に付き合ってもらえないかな。一人で食事するのも味気ないからね」

「あ、はい!喜んで」

自分の誘いに屈託なく笑って答える香穂子に、吉羅もまた微笑み返すのを自覚した。
何だかんだと言っても、結局甘やかしてしまうなと呆れるが、きっとこれからも自分は、こうしてこの手を離す事はできないのだろう。

彼女と過ごす時間こそが、自分にとっては一番の贈り物なのだから。




あとがき☆
そんな感じでバレンタイン吉日創作小説ですが、いかがでしたでしょうか?
書きたいことがいっぱいあったので、すごく長くて上中下の3ページとなってしまいまして、何かスミマセン(苦笑)

香穂ちゃんのための、天羽ちゃん・冬海ちゃん企画、リリ協力による理事長にチョコ渡そう作戦だったのですが・・・
や、天羽ちゃんってこういうこと好きそうだし、女子3人の戯れる様子が書きたかったのですよ〜(笑)
ちなみに、乃亜ちゃんもちょこっとだけど友情出演させました☆
彼女も恋愛の話大好きですよね(笑)

女の子ってやっぱり華があるし、可愛いvv書いてて楽しかったです(*^_^*)
一生懸命頑張って恋してる女の子はすごく素敵だな〜と改めて思いました♪
サブタイトルは「恋せよ乙女!」ってとこでしょうか(笑)

あと、やっぱり年の差CP大好きですvv
香穂ちゃんが理事長に一方的に翻弄されてるようで、理事長も香穂ちゃんに夢中でけっこう振り回されてたらイイと思います(笑)

さてさて、これでも十分長いのですが、一応他の女の子たちのバレンタイン作戦の結果も書きましたので、よろしければご覧下さい〜

おまけ♪

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